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撮影から数年離れたカメラマンが、戻って全国大会を撮るまで

防波堤に立つ人々(夕焼け)

三重県で会社を経営しながら、撮影をしている方がいます。もとはライブ撮影が本業でした。

ごく普通のしがない経営者です

三重県中部においては、ライブ撮影では長く通っています

その撮影を、数年やめています。

店を経営し始めてから、僕がその当時メインでやってたライブ撮影の方ができなくなった

数年やめると、何が起きるのですか?

居場所がなくなります。この方は「僕の写真を真似して上手になる人が出てきて、寂しくなった」と話しています。

数年できなかった間に、やはり僕の写真を真似をして、だんだん上手になってくる人がいっぱい出てきたので、なんだ僕もういらないじゃんっていうので、すごく寂しくなったんですね

そして、こう続けています。

もう僕が戻ってくる場所ないなっていう思いがあった

技術が落ちたとは言っていません。

周りが上がった、という話です。真似をされた側が、真似をした人たちに追い越されていました。

これは、撮影に限りません。依頼は人についていきます。離れている間に、その人の枠を誰かが埋めます。

ブランクは、技術の問題ですか?

違います。この方の場合、問題は「戻る口実がない」ことでした。いきなり同じ現場には戻れません。

数年前に撮っていた人が、いきなり同じ現場に戻ることはできません。呼ばれなくなっているからです。

つまり、埋めるべきなのは腕ではなく、仕事が入ってくる経路です。

未経験の人が最初の1件をどう作るかはカメラマンになるには?に書きました。ブランクのある人も、やることは同じです。独学でどこまで戻せるかはカメラマンは独学でなれる?にまとめています。

戻ってきて、いちばん良かったことは?

仕事の中身ではなく、人でした。「仲間がいっぱいできて、その中で仕事をもらえる」と話しています。

仲間がいっぱいできるので、その中でもいっぱい仕事をもらえるんですね

そして、その先にいちばん大きい仕事があります。

その仕事の中身で一番すごかったのが、技能五輪。いろんな職人さんたちのオリンピックです。それの日本大会のカメラマン

技能五輪は、職人の技能を競う全国大会です。この撮影に、資格は要りませんでした。カメラマンに資格はいる?でも、この方の話を引いています。

この仕事は、応募して取ったものではありません。本人が挙げた順番は、仲間ができた → 仕事が回ってきた、です。

募集を探すのとは、別の経路があるということです。

仕事が入ってくる経路の作り方は、業界レポートで詳しく紹介しています。

登録サイト経由で受ける方法はカメラマンの登録サイトはどれ?、口コミや紹介で受ける方法は出張撮影で選ばれるのはどんな人?にまとめました。

つながりは、いまも続いています。

7年前なのに、今でも繋がりたくさんあって嬉しいです

いちばん辛かったのは、どんな日でしたか?

いちばん大きい仕事の日でした。技能五輪の前泊したホテルに、すべての資料を忘れてきています。

(技能五輪で)前泊したんですけれども、その前泊したホテルに全ての資料を忘れてきて

何を忘れたのかを、そのまま挙げています。

担当者の名前、連絡先、会社名から撮影する内容全て

どこのブースを一人当たり何枚とか、何時から何分まで、何が何をしてとか。担当者も分からないんで、集まる場所も分からないんで

全国大会の当日に、撮影指示も連絡先も手元にない状態です。

どうしたか。

それはもう当日、乗り越えました

もうひたむきに、もう誠実に……絶対に相手と向き合う

本人が挙げているのは、機材でも段取りでもありません。「ひたむきに」「誠実に」「相手と向き合う」——その3つだけです。どう情報を集め直したかは話していません。

現場の失敗は、技術では取り返せません。この日の対処は、隠さずに向き合ったことでした。

当日の持ち物と事前準備は、カメラマンの服装は?にまとめています。撮影の仕事を受けるときの契約と責任の範囲はカメラマンの業務委託とは?、事故に備える保険はカメラマンの保険は必要?にあります。契約や保険の条件は変わります。実際に受けるときは、最新の要件をご自身で確認してください。

何がいちばん変わりましたか?

撮り方ではありませんでした。本人は「一番変わったのはマインドですね」と言い換えています。

一番変わったのはマインドですね

具体的には、こう言い換えています。

やってから物事を考えれるようになる

考えてからやるようでは、もう遅い

準備してから動く人だったということです。経営者としては、それが普通です。

ただ、撮影の仕事は、声がかかったときに受けるかどうかで決まります。考えている間に、別の人に回ります。

数年離れて「戻る場所がない」と感じた人の言葉です。

このあとは、どうするのですか?

撮影のほうを本業にしていく計画です。「2年後には会社を後継者に任せ、日本中を写真の旅をします」。

2年後には、会社は後継者に任せて、日本中、写真の旅をします

経営から撮影へ、順番が入れ替わります。ライブ撮影ができなくなった理由が経営だったので、そこを畳む、ということです。

フリーランスとして撮影を主にする場合の収入の考え方はフリーランスカメラマンの実際とカメラマンの年収は420万円?にまとめました。

本人の話は2026年の取材によるものです。
## この記事のまとめ

  • 三重県で会社を経営しながら撮影。もとはライブ撮影が本業だった
  • 経営を始めて数年、撮影ができなかった
  • 戻ろうとしたとき、自分の写真を真似した人たちが上手くなっていた。「なんだ僕もういらないじゃん」
  • ブランクの問題は技術ではなく、仕事が入ってくる経路が切れていたこと
  • 戻ったあと、仲間経由で仕事が回るようになった。いちばん大きかったのは職人の全国大会のカメラマン
  • 7年前の同期と、いまもつながっている
  • いちばん辛かったのは、その全国大会の日。資料一式をホテルに忘れた
  • 乗り切った方法は、隠さず相手と向き合ったこと
  • 変わったのは撮り方ではなく順番。「考えてからやるようでは、もう遅い」
  • 2年後に会社を後継者に任せて、写真の旅に出る計画

離れていた期間から戻れるかは、無料の業界レポートで詳しく紹介しています。

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※この記事は、ご本人へのインタビューをもとにしています。個人の事例であり、同様の成果を保証するものではありません。

ほかの卒業生の話は卒業生の話にまとめています。

執筆:山野井 孝志(フォレスト出版)

柔道整復師。施術とコーチングの経験はあわせて5万件以上。セラピスト向けのセミナー事業で成約率を10%から60%に引き上げ、後輩のセミナー事業の立ち上げにも携わり、年商6,000万円のビジネスを構築。現在はフォレスト出版に在籍しています。

監修:小椋 翔(フォトグラファーの学校 学校長/通称:オグショウ)

一般社団法人日本ニューボーンフォトグラファー協会 代表理事。経営コンサルタント。現在5社経営。わが子を撮影するために購入した3万円のカメラ1台で、そのまま写真館をオープンし、その後に出張撮影を開始。2017年、カメラマンを育成する「カメラマン全力授業」「フォトグラファーの学校」を全国で開始し、卒業生は1,400名。日本初のセルフウェディングフォトスタジオ「SELDING」を沖縄に2店舗経営。経営コンサルタントとして3,000人以上を支援。著書に『増補改訂版 副業するならカメラマン』(フォレスト出版)。

この記事は、小椋翔さんの著書・セミナー・受講生へのインタビューと、各サービスの公式情報をもとに構成しています。

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このサイトの監修者の本

『増補改訂版 副業するならカメラマン』小椋翔・著(フォレスト出版)

『増補改訂版 副業するならカメラマン』小椋翔・著(フォレスト出版/2026年2月)
このサイトで扱っている「需要を先に見つける」という考え方は、この本がもとになっています。